Theodor Oesten: Feen-Märchen Op.73-3 ほか

今回は、《人形の夢と目覚め Op.202-4》や《アルプスの夕映え Op.193》、《アルプスの鐘 Op.175》などといった子供向けあるいは発表会向けの小品で知られるテオドール・エステンの作品を録音してみました。


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作品番号(Op.)が500を超える作曲家たち

 出版された音楽作品の識別のために割り振られる作品番号(Op.)、その使用はルネサンス末期~バロック初期には始まっていたと考えられており、最初期にそれを使用した作曲家としてはアドリアーノ・バンキエリやロドヴィコ・ヴィアダーナが挙げられます。しかし、バロック期までの作曲家の作品番号は大抵2桁に届くかどうかというくらいで、例えば、ヘンデルが7、ヴィヴァルディが12、コレッリが6といった具合です。多くても数十といったところでしょう。ただ、ボワモルティエは例外的に作品番号が100を超えていますが。当時は、19世紀以降に比べると出版譜の需要はかなり低かったと思われますし、また、一つの作品番号に協奏曲やソナタのような大規模作品が6曲あるいは12曲収録されているというのが普通でしたので、作品番号は大きくなりにくかったのでしょう。そもそも、J.S.バッハをはじめ、作品番号を全く使用していない作曲家も少なくありませんでした。

 古典派の時代になると、作品番号の利用はもっと広まり、ハイドンやベートーヴェン、クレメンティ、ボッケリーニ、J.C.バッハなど多くの作曲家の作品でそれが用いられています。今日では一般にケッヘル番号で識別されているモーツァルトの作品にさえもOp.番号が存在した形跡があるのです。当時は、ある一つの曲の作品番号が出版社によってバラバラになっていたりと混乱が多かったのですが、そのような中でベートーヴェンは系統立った作品番号を用いた最初の作曲家だといわれています。バロック期に比べると、大きな作品番号が付けられることも多くなり、ベートーヴェンのように100を超える作曲家も現れるようになりました。

 ロマン派の時代になると、作品番号が200や300に達する作曲家も珍しくなくなりました。かつてのようにソナタや弦楽四重奏曲といった多楽章の大規模作品を一つの作品番号に複数詰め込むということはほとんどなくなり、数ページのみの短いサロン小品などでも一曲で一つの作品番号が与えられるようになってきたというのがその背景にあるかもしれません。また、もちろん、市民社会の興隆やピアノの普及によって、楽譜の需要が高まったというのも大いに関係しているでしょう。そのような時代に、膨大な数の作品を書いたことで有名なのがチェルニーかもしれません。彼の作品番号は、なんと861にまで達しています。しかし、ここで驚いてはいけません。世の中には、作品番号においてそれを凌駕する量の作品を書いている作曲家がまだいるのです!前置きが長くなりましたが、今回はそういった巨大な作品番号を誇る作曲家たちを紹介していきたいと思います。

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19世紀イタリアのピアノ音楽 その1 (その2以降があるかはわからない……)

 当ブログで取り上げて続けている19世紀の知られざるピアノ作曲家たちについてですが、今までに紹介をしていない作曲家も含めて、国別にまとめ記事を書いてみたいなどという思いがよぎりました。ただ、ドイツやフランスはあまりにも作曲家が多すぎてキリがなさそう。ということで、ピアノ音楽に関してあまり脚光を浴びていないイタリア、アルベニスやグラナドスといった作曲家が活躍する以前のスペインおよびポルトガル、ショパンと同時代のポーランド人作曲家あたりに関して書いていければと考えています。現段階では、それらの国の作曲家について大して調査をしたわけでもないので、本当に漠然と計画している状態に過ぎません。企画倒れになる可能性も大です。今回は、取り敢えず、手始めのような感じで、19世紀イタリアのピアノ音楽に関して前書きのようなものを書いてみました。続きがあることをあまり期待せずにご覧ください。

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Alexandre Billet (1817-?)

本日は、ロシア生まれのピアニスト・作曲家アレクサンドル・ビレ(Alexandre-Philippe Billet, 1817-?)の生誕200年ということで、彼の作品のMIDIを作成してみました。

ビレは、サンクト・ペテルブルクのフランス人一家に生まれ、1833年にはロシアを離れてパリ音楽院へ入学しました。初めはヴァイオリンを専攻していたそうですが、やがてピアノに転向しジメルマン(Wikipedia)の指導を受けています。1835年には、ピアノの選抜試験で二等賞を獲得しています。その翌年には音楽院を離れ、チェロを学んでいた兄弟(生年はおろか名前すらわからないので、兄なのか弟なのか判断できない)とともにジュネーヴを訪れ、そこで数年間を過ごしました。1841年にはイタリアへ行き、その後はロンドンに居を定め、ピアノ教師及び演奏家として活動しています。没年は不明ですが、J.D. Champlin Jr.の『Cyclopedia of music and musicians』によれば1888年の時点では存命だったそうです。

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Stefano Golinelli: Uno sguardo al cielo, Preghiera Op.170

今回は、「イタリアのバッハ」とも称された知られざるピアノの巨匠ステファノ・ゴリネッリの《空への一瞥, 祈り Uno sguardo al cielo, Preghiera Op.170》という作品を紹介します。彼の作品のMIDIを作成するのは、《吸血鬼の踊り, スケルツォ Op.52》と《愛と悲しみ, 夜想曲 Op.51》に続いて3曲目となりますが、今回の《空への一瞥》は後者のような旋律美を湛えた作品で、同い年のイタリアのピアニスト・作曲家ジュゼッペ・ウニア(Giuseppe Unia, 1818-1871, IMSLP)に献呈されています。

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