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21世紀にロマン主義で何が悪い

 喧嘩腰な記事タイトルですが、別に何かに怒りをぶつけようしているわけではありません。いわゆる現代音楽に対する個人的な疑問や音楽観を書き連ねたいと思っています。


 かつて佐村河内氏が世間で話題となった際、(実際は新垣氏が書いた)その作品がロマン派的で時代錯誤であるとか、作曲家というものは新しいものを創りたいと考えるものであるからそのような作品が書かれているのには違和感を覚えていたとかいうような声を耳にした気がします。しかし、現代の作曲家がロマン派様式とかバロック様式とかで曲を書いてみたいと思うのがそんなにおかしなことだろうかと私は思います。むしろ、皆が挙って無調音楽とかを作曲していることのほうが奇妙に映っています(実はバッハのような宗教曲が書きたい、マーラーみたいな交響曲が書きたいという音大作曲科の学生とかっていないんですかねぇ?)。

 さらには、現代において過去の様式を模倣した作品を書くことは無意味で価値のないことだと主張する人も少なくないかもしれません。それには異議を唱えたいところです。

 もし、今、ベートーヴェンの未知の交響曲が発見され、演奏されることとなったとでもしましょう。新たに発掘された百年以上前の作品を聴くのと、現代の作曲家の新作を聴くのとは、未知の作品に対峙するという点では同じだと思います。それで、ベートーヴェンの作品は既知の様式で書かれているから新たに発掘されても聴く価値がないということにはならないでしょう。

 私が発掘している19世紀の埋もれたピアノ曲も、概ね既知の様式に則って書かれた作品といえるでしょう(レオン・クロイツェルの作品なんかは結構独特ですが)。しかし、それらの作品に魅力を感じるのは、既知の様式に則っている中にも何らかの新たな価値を見出しているからでしょう。

 私は、ホームページやTwitterで時折自作曲を公開してますが、それらは基本的に19世紀の様式(特に1840~1870年ぐらいを意識しています)で書かれています。また、アニソン等の編曲作品においても19世紀の様式を取り入れています。私個人にとっては、新奇な様式を用いようとするより、過去の様式に従って作曲をする方が、客観的な良し悪しはともかく余程自分の書きたいもの、自分らしいものが書けると考えています。

 誤解のないように述べておきますが、いわゆる現代音楽自体を批判するつもりは私には全くありません。ただ、クラシック畑の作曲家が皆、無調で不協和音に溢れた難解な作品を書こうとしていることを純粋に不思議に感じています。そして、新奇さこそに価値があり、過去の様式を用いて創作することに価値がないというような考え方には疑問を呈したいと思っています。

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