Antoine de Kontski (1817-1899)

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▲Antoine de Kontskiの肖像 The New York Public Library Digital Collections より 加工・転載

アントワーヌ・ド・コンツキ(Antoine de Kontski, 1817-1899)は、ポーランド出身のピアニスト・作曲家です。父親から手ほどきを受けた後、ワルシャワでマルケンドルフ[1]に師事。1829~30年には、モスクワでフィールド[2]の指導を受け、それから、ウィーンでゼヒター[3]に作曲を学びました。後にパリへ行った際には、タールベルク[4]の薫陶も受けています。

コンツキは、生涯に亘って世界を股に掛けた音楽活動を行いました。彼は、一通りの修業を済ませると、数々の演奏旅行を実施し、その後、パリで過ごしました。それから、コンツキは、1851年から1853年の間、ベルリンで宮廷ピアニストを務め、1854年から1867年にかけてはサンクトペテルブルクで過ごします。その後は、ロンドンに定住し、1883年にはアメリカへと渡りました。1897年(?)には、なんと80歳の高齢にしてオセアニアやアジア、ロシアを巡る大演奏旅行を決行しています。その際には、日本も訪れています。

作品は、ピアノ曲が中心で、特に、「ライオンの目覚め, 英雄的奇想曲 Op.115」は、世界的な人気作となりました。他には、歌劇、交響曲、ピアノ協奏曲、序曲、宗教曲などの作品があります。演奏家としては、繊細なタッチと華麗な技巧により人々を熱狂させましたが、一方で、深みに欠ける演奏であると批判されることもありました。

なお、コンツキ家は音楽一家であり、アントワーヌの兄弟4人も皆音楽家として活躍しています。

・シャルル(Charles de Kontski, 1815-1867):ヴァイオリニスト
・ウジェニー(Eugénie de Kontski, 1816-?):声楽家
・スタニスラス(Stanislas de Kontski, 1820-?):ピアニスト
・アポリネール(Apollinaire de Kontski, 1825-1879):ヴァイオリニスト、ワルシャワ音楽院を設立

[1]Johann Markendorf:詳細不明
[2]John Field(1782-1837):「夜想曲(Nocturne)」の創始者として知られるピアニスト・作曲家。
[3]Simon Sechter(1788-1867):高名な音楽理論家であり作曲家。
[4]Sigismond Thalberg(1812-1871):以前の記事を参照




チェリート, お気に入りのマズルカ La Cerrito, Mazurka Favorite Op.84



ライオンの目覚め, 英雄的奇想曲 Le Réveil du lion, Caprice héroïque Op.115

コンツキの代表作。演奏時間十数分に及ぶ大曲で、超絶技巧のオンパレードというべき華麗な作品です。かつて、連弾版、簡易版、管弦楽版など、様々な編曲によっても親しまれたことは、この曲の人気のほどを物語っています。
ファンファーレで曲が開始され、勇壮な行進曲が続きますが、中間部では夜想曲風の対照的な楽想になります。ライオンが眠っている様子でしょうか?その後、太鼓連打(Le Rappel)によってライオンが目を覚まし(?)、再び行進曲が始まります。クライマックスはfffの大音量で迫力満点です。


糸車, 即興曲 Le Rouet, Impromptu Op.325




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