Charles-Valentin Alkan (1813-1888)

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▲Charles-Valentin Alkanの肖像 Gallica / Bibliothèque nationale de France より 加工・転載

シャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles-Valentin Alkan, 1813-1888)は、フランスのピアニスト・作曲家です。本名はモランジュ(Charles-Valentin Morhange)といいます。アルカンという姓は、父(Alkan Morhange)の名から取られたものです。

アルカンは、僅か6歳でパリ音楽院に入学し、ピアノをジメルマン[1]、和声法をドゥルラン[2]に師事しました。ソルフェージュ(1821年)、ピアノ(1824年)、和声法・伴奏法(1827年)、オルガン(1834年)の4部門で一等賞を獲得し、1832年には、若手作曲家の登竜門というべきローマ賞に応募し、一等賞、二等賞こそは逃しましたが、選外佳作に選ばれました。

アルカンは、1826年にピアニストとしてデビューを果たし、1828年には作品番号1が出版され、作曲家としての一歩が踏み出されました。若くしてヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして大きな成功を収めた彼は、ショパンやリスト、ヒラー[3]といった音楽家とも親交を結んでいます。

1848年、アルカンに大きな転機が訪れます。旧師ジメルマンがパリ音楽院のピアノ科教授のポストを退くこととなり、アルカンがその後任候補の一人に選ばれたのでした。しかし、その座は最終的にマルモンテル[4]が手にすることとなり、アルカンは深い失望感を味わうこととなりました。

それ以降、アルカンは引き籠りがちな生活を送るようになります。1853年に2回の演奏会を行ったのを除き、長い間、彼は公の場で演奏活動を行いませんでした。その沈黙が破られるのは、1873年のことです。彼は、「古典音楽の6つの小演奏会(Six Petis Concerts de Musique Classique)」という年6回の演奏会を1880年まで行いました。

1888年、アルカンは世を去りました。死因については謎に包まれており、ユダヤ教の経典を取ろうとして本棚の下敷きになったとも伝えられています。

作品は、ピアノ曲が中心で、その多くは演奏が非常に困難であることで知られています。また、独創的、前衛的な作風には目を見張るものがあり、近年再評価が進んでいます。

[1]Pierre-Joseph-Guillaume Zimmerman(1785-1853)
[2]Victor Dourlen(1780-1864)
[3]Ferdinand Hiller(1811-1885):ドイツのピアニスト・作曲家。
[4]Antoine Marmontel(1816-1898)




鉄道, 練習曲 Le chemin de fer, Etude Op.27

おそらく、アルカンの作品で最もよく知られているものです。右手には16分音符のパッセージがひっきりなしに続いており、それを二分音符=112という速さで演奏しなければならない(1秒間に15個近くの音を弾く計算になる)難曲です。


全ての長調による12の練習曲 Douze étude dans tous les tons majeurs より No.5 Allegro barbaro

リディア旋法が用いられているため、ヘ長調にもかかわらず黒鍵を一度も使用しない曲です。
※リディア旋法は、教会旋法の一種で、長音階の下属音が半音上がったもの(すなわち、ハ長調の場合、ド、レ、ミ、ファ♯、ソ、ラ、シ、ド)に相当します。



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