Julian Fontana (1810-1869)

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▲Julian Fontanaの肖像 IMSLP Petrucci Music Library より 加工・転載

ユリアン・フォンタナ(Julian Fontana, 1810-1869)は、ポーランド出身のピアニスト・作曲家です。ワルシャワ大学で法律を学ぶ傍ら、ワルシャワ音楽院でエルスナー(Wikipedia)に師事。ワルシャワ音楽院ではショパンと同級生になり、彼らは親密な友人関係を築くこととなりました。

1830年のポーランド11月蜂起が失敗に終わると、それに加担していたフォンタナは出国を余儀なくされ、ハンブルグを経て、1832年にパリへと移りました。1833~36年にはロンドン、1844~45年にはキューバ、1845~51年には米国で過ごしていますが、米国では、パガニーニの唯一の弟子として知られるヴァイオリニスト、カミッロ・シヴォリ(Wikipedia)との共演も行っています。

その後、フランスに戻り、1855年には、亡き親友ショパンの遺作(Opp.66~73)の出版を手掛け、1859年には、さらに遺作歌曲(Op.74)を世に出しています。ショパン自身は、遺言で未出版作品を破棄するようにと言っていたので、フォンタナはその意思に反したことになりますが、「幻想即興曲 Op.66」などの作品を今日私たちが聴けるのは、フォンタナがそうしてくれたおかげであるといえるかもしれませんね。

フォンタナは、晩年、聴力障害に悩まされ、音楽活動から退かざるを得なくなりました。1869年には、孤独と貧困の中、自ら命を絶っています。

作品には、数十曲のピアノ曲や歌曲があります。



ハバナ, アメリカとスペインの動機による幻想曲 La Havanne, Fantaisie sur des motifs Américains et Espagnols Op.10

恐らく、フォンタナは、1844~45年に訪れたキューバで民謡を蒐集し、それらの旋律を用いてこの曲を書いたのでしょう。フィナーレに出てくる「アラゴンのホタ(ホタ・アラゴネーサ)」は、リストの「スペイン狂詩曲」やグリンカの「スペイン序曲第1番」などでも引用されている有名な旋律です。



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