Paul Barbot (1828-1913)

ポール・バルボ(François Cécile Paul Barbot, 1828[1827?]-1913)は、フランス、トゥールーズ出身のピアニスト・作曲家です。レ(Rey)夫人からピアノを教わり、その後、トゥールーズ音楽院に入学し、1842年に一等賞を取って卒業しました。同年末には、パリ音楽院のジメルマンのクラスへの入学が認められましたが、テノール歌手になることを目指した彼は、1844年にはナポリへ行き、サン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽学校でクレシェンティーニ(Crescentini)に師事することとなりました。その半年後には、興行主のフラウト(Flauto)と契約し、歌手として舞台に立っています。

1846年に、彼はフランスに戻りますが、旅中の事故で声を失ったため、歌手の道を断念せざるを得なくなりました。そこで、ピアノや作曲の勉強を再開したところ、トゥールーズにてたちまち演奏家及び教育者として高い評判を得ることが出来ました。1853年には、モリエールの喜劇によるオペラ=ブッフ「女房学校(l'École des Femmes)」を同地で初演し、大きな成功を収めました。それ以降、バルボは、100曲以上に及ぶピアノ小品を発表しています。

今月は、バルボの没後100周年です。IMSLPMusicSackを参照したところ、彼は1913年9月に亡くなったとのことですが、正確な日付まではわかりませんでした……

と思いきや、こちらのサイトに1913年9月9日が命日だと書かれおり、残念ながら没後100年は一週間前に過ぎていたことが判明しました。しかも、誕生日が1828年ではなく、1827年9月16日と書かれています。これが正しいとすれば、奇しくも本日(2013年9月16日)は、生誕186年ということになりますね。



聖アントニウスの誘惑, 風俗的奇想曲 La tentation de Saint-Antoine, Caprice de genre Op.120

エジプト生まれの聖人、聖アントニウス(Wikipedia)は、砂漠で修業中、悪魔から誘惑を受け、様々な幻影に襲われたといいます。この「聖アントニウスの誘惑」という場面は、しばしば絵画の主題として取り上げられ、例えば、ヒエロニムス・ボスやマティアス・グリューネヴァルト等が作品を残しています。音楽では、グリューネヴァルトを題材にしたヒンデミットの交響曲「画家マティス」の第三楽章に「聖アントニウスの誘惑」の題が付けられています。

バルボの作品では、前奏の後、ト長調で隠者アントニウスの祈りが描写されます。次に、飛び跳ねるような旋律で小鬼(lutin)が現れます。それに続く、変ホ長調の部分は、女の姿に化けた悪魔の誘惑でしょうか。その後、祈りの旋律が再現され、誘惑に打ち勝ったことが示されます。



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