Ignaz Tedesco (1817-1882)

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▲Ignaz Tedescoの肖像 The New York Public Library Digital Collections より 加工・転載

ショパンは「ピアノの詩人」、リストは「ピアノの魔術師」、……
このような呼び名が与えられた大作曲家はいろいろいます。

今日では全く知られていませんが、「オクターブのハンニバル」というカッコいい称号を与えられた音楽家がいました。

それは、イグナツ・テデスコ(Ignaz Amadeus Tedesco, 1817-1882)というプラハ生まれのピアニスト・作曲家です。彼は、父から音楽の手ほどきを受けてたちまち才能を現し、トリーベンゼー(Josef Triebensee, 1772-1846 か?)の指導を受け、12歳の頃には公の場で演奏をするようになったそうです。13歳の頃にはウィーンで演奏し成功を収めましたが、その後、プラハに戻ってトマーシェク(Wikipedia)の下でピアノや作曲の研鑽を積みました。

1833年には再びウィーンを訪れ、その翌年にはドイツへの演奏旅行を実施し、1840年にはロシア南部(現在のウクライナ、ルーマニアを含む)へ演奏旅行し、レンベルクやチェルノヴィッツ、ヤシで大きな成功を収めました。それから、オデッサに定住し、そこでピアノ教師として数多くの生徒を指導しました。その後は、ハンブルク(1848)やロンドン(1856)等も訪れています。

テデスコは、大変華麗な技巧を持っていたといわれ、先述のように「オクターブのハンニバル」と渾名されたほどでした。オクターブといえば、テデスコと同じくボヘミア出身のピアニスト・作曲家アレクサンダー・ドライショック(Alexander Dreyschock, 1816-1869)がショパンの「革命のエチュード」の左手をオクターブにして演奏したという逸話で知られていますが、テデスコもそれに並び立つような技巧を持っていたのかもしれません。

作品の多くはサロン向けのピアノ曲で、ピアノ協奏曲も残したようです。そのうち、私が楽譜を確認できたのは、僅か5曲ほどです。残念ながら、それらの作品からは「オクターブのハンニバル」っぷりはわかりませんでした。

門下には、ユリウス・シュールホフ(以前の記事)がいます。



3つのドイツの歌 第3巻 3 Deutsche Weisen 3tes Heft Op.61 より No.2 私の恋人は騎士 Mei Schatz is a Reiter

ドイツ民謡を変奏曲形式に編曲した短い小品です。華麗な編曲ではありますが、難し過ぎることはなく、弾いていてなかなか楽しいです。元ネタの民謡は、多分これですが、テデスコの編曲とは旋律が異なっている部分があります。

楽譜はこちらで閲覧できます。





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