Sigismond Thalberg (1812-1871)

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▲Sigismond Thalbergの肖像 Gallica / Bibliothèque nationale de France より 加工・転載

当ブログで紹介する最初の作曲家は、ちょうど今年に生誕200周年を迎えたジギスモント・タールベルク(Sigismond Thalberg, 1812-1871)です。彼は、19世紀最大のピアニストの一人で、リストのライバルとして音楽史に名を残しました。この二大ヴィルトゥオーゾの雌雄を決すべく「ピアノの決闘」が行われたというエピソードは有名です。

タールベルクは、ジュネーヴ近郊のパキ(Pâquis)に生まれました。貴族の男女の間の私生児であったといわれています。10歳の頃、外交官になるための教育を受けにウィーンへ赴き、そこでファゴット奏者のミッターク(August Mittag, 1795-1867)から音楽の手ほどきを受けました。その後、フンメル(Johann Nepomuk Hummel, 1778-1837)にピアノを、対位法の大家ゼヒター(Simon Sechter, 1788-1867)に音楽理論を師事しています。

14歳の頃には、サロン・ピアニストとしてデビューし、その2年後には、最初の3作品(Op.1~Op.3)を出版。1830年には、ドイツやイギリスへの演奏旅行が開始され、着実に名声が築かれていきました。特に、1830年代中頃に訪れたパリでは、聴衆を熱狂の渦に巻き込み、かのリストと人気を二分するまでとなりました。そこで行われることになったのが、前述の「ピアノの決闘」(1837年)です。この決闘は、「タールベルクは世界一のピアニスト、リストは唯一のピアニスト」というどっちつかずな判定によって決着がつけられました。

その後も、タールベルクは、1855年に新大陸への演奏旅行を行うなど、世界各地で演奏活動を繰り広げますが、1863年の(2度目の)ブラジル・ツアーを最後に、音楽活動から完全に身を引いてしまいました。それ以降は、イタリアのポジリポでブドウ園を営みながら余生を過ごしたそうです。

作品は、大半がピアノ独奏曲で、人気歌劇の主題を用いた幻想曲がその多くを占めています。この類の作品を書く際にタールベルクがよく用いたのが「3本の手」と呼ばれる書法です。この書法は、低音域と高音域に伴奏や対旋律を配置しつつ、中音域に左右の手を組み合わせ用いて主旋律を奏でるというもので、その名の通り、あたかも3本の手で演奏しているかのような演奏効果が得られます。これが後のピアノ音楽の与えた影響は、決して小さなものではありません。

なお、ピアノ独奏曲以外には、ピアノ協奏曲(Op.5)や歌曲などを残しました。歌劇も2作手掛けていますが、成功はしなかったようです。



2つの夜想曲 Deux Nocturnes Op.16 より 第1番


作品の多くを編曲物が占めているタールベルクですが、このように魅力的なオリジナル小品も残しています。


マイヤーベーアの歌劇「ユグノー教徒」の動機による幻想曲 Fantaisie sur des motifs de l'Opera Les Huguenots de Meyerbeer Op.20

タールベルクは、マイヤーベーア(Giacomo Meyerbeer, 1791-1864)の歌劇「ユグノー教徒」による幻想曲を2曲残しました。この曲は第1番の方にあたります(第2番はOp.43)。
この第1番では、水浴者の合唱「Jeunes beautés, sous ce feuillage」、コラール「Seigneur, rempart et seul soutien (神はわがやぐら)」、ユグノー教徒の兵士のクープレ 「Prenant son sabre de batailles」の3つの主題が引用されています。


「ランメルモールのルチア」のアンダンテ・フィナーレ, 変奏曲 Andante Final de Lucia di Lammermoor, varie Op.44

ドニゼッティ(Gaetano Donizetti, 1797-1848)の歌劇「ランメルモールのルチア」の中の六重唱「Chi mi frena in tal momento」を編曲したものです。ちなみに、ライバルのリストもこれと同じ主題を用いて「《ランメルモールのルチア》の回想(S.397)」を書いています。


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