Léopold de Meyer (1816-1883)

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▲Léopold de Meyerの肖像 The New York Public Library Digital Collections より 加工・転載

レオポルド・ド・マイヤー(Léopold de Meyer, 1816-1883)は、オーストリア出身のピアニスト・作曲家です。初めは法律家になるための教育を受けましたが、17歳の時に訪れた父の死を機に、幼い頃から親しみ才能を開花させていた音楽の道へ進む決心をし、ウィーン音楽院教授フランソワ・シューベルト(François Schubert、有名なフランツ・シューベルトとは別人)やツェルニー、フィッシュホフ(Joseph Fischhof, 1804-1857)に師事しました。

マイヤーは、世界の様々な地へ演奏旅行を実施し、行く先々で喝采を浴びました。
1835年から1843年には、ブカレスト、ヤーシ、オデッサ、サンクトペテルブルク、モスクワ、コンスタンティノープル等、ロシア・東欧・トルコ方面を巡演しました。その後はフランクフルト、ブリュッセル、パリ、ロンドン等、西欧方面へ向かっています。

1845年から1847年には、アメリカで演奏活動を行いました。19世紀半ば、音楽需要が高まりつつも、まだプロの演奏家が不足していたアメリカは、新興の市場として音楽家たちの注目を集めていました。H.エルツ(以前の記事)やS.タールベルク(以前の記事)、A.ジャエル、アントン・ルビンシテイン、H.v.ビューローといったピアニストたちがこの地を訪れています。マイヤーは、彼らに先駆けてアメリカへ渡り大きな成功を収めました。

マイヤーは、比類なく力強い演奏で聴衆を驚かせ、その風貌も相俟って「ライオン・ピアニスト」と渾名されていました。また、演奏中に大袈裟な身振りや奇怪な所作を取ることもあったと伝えられており、誇張はあるかもしれませんが、親指だけで演奏したり、握りこぶしや肘を使って打鍵することもあったといわれています。彼の姿を描いたカリカチュアからもその豪快な演奏ぶりを窺うことができます。

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▲マイヤーのカリカチュア Gallica / Bibliothèque nationale de France より 加工・転載。
楽器には「何にでも耐えられるエラールのピアノ」と書かれています。





モロッコ行進曲 Marche marocaine Op.22

マイヤーの代表作で、初版には『マシュムディエ, トルコの戦争の歌 Machmudier, Air guerrier des Turques』というタイトルが付けられていたそうです。何故トルコからモロッコになってしまったのかはよくわかりません。



マイヤーは1843年にトルコのコンスタンティノープル(イスタンブール)を訪れており、恐らくそこで聴いた音楽に触発されてこの曲を書いたのでしょう。出版されたのは1844年頃だと思われますが、ちょうど同年には東洋趣味を取り入れて大成功を収めたフェリシアン・ダヴィッドの交響的オード『砂漠』が初演されています。まさに、音楽界で東洋ブームが起きていた時期でした。なお、マイヤーは『モロッコ行進曲』以外にも東洋趣味を取り入れた曲として、『バヤジット, トルコの国民歌 Op.23』(モシェレスに献呈)、『2つのアラブの主題による東洋幻想曲 Op.38』、『宮殿の踊り, 東洋大幻想曲 Op.51』等を残しています。

19世紀末頃の音楽事典を見てみると、マイヤーの作品は浅薄や取るに足らないといった低い評価が下されていることが多いです。特に、A. Ehrlichの『Celebrated pianists of the past and present』(1894)という本では「彼は作曲家ではなかった」とまで書かれています。しかし、私には、マイヤーに対するこういった評価は不当なように思えてなりません。彼の作品には目を見張るような個性を感じるものがあります。

『モロッコ行進曲』は、マイヤーのトレードマークである力強い演奏スタイルが効果的に反映された、ピアノの扱いに精通したヴィルトゥオーゾならではの作品といえるのではないでしょうか。和音やオクターブをダイナミックに打ち付けて刻まれる軍楽の刺激的なリズムやサウンドは、恐らく、当時としては斬新なものだったと思われますし、今なお新鮮さを失っていないと思います。曲の随所にみられる半音階的な和声変化もエキゾチックな雰囲気を高めています。

ベルリオーズもマイヤーの作品の大部分は魅力的な独創性を持っていると述べており、なんと『モロッコ行進曲』の管弦楽編曲も残しています。残念ながら、現時点で録音は存在してなさそうです。ピアノをダイナミックに扱ったこの作品が、管弦楽の大家の手に掛かるとどのようなものになるのか是非聴いてみたいものです。
なお、ベルリオーズはマイヤーの曲をもう一つ管弦楽編曲しています。『イスリーの凱旋行進曲 Op.30』という曲です。詳しくはこちらのサイト(英文)に書かれています。


最後に、ベルリオーズによるマイヤーへの評を紹介しておきます。
どうやら彼は、マイヤーの独創性や力強い演奏を評価する一方で、詩的な表現を獲得するべきであるとも述べています。
拙訳ですので、過信しないでいただけると幸いです。

私は、レオポルド・ド・マイヤーについて以前にも話した。彼が電撃的なピアニストで、難しさの極致にまで達したことを認めねばならない。彼の演奏会はエラールのもとで行われた。彼は、最後まで独力で関心を維持し高めることが出来た。彼の作品の大部分は魅力的な独創性を持っている。パガニーニを有名にした主題に基づいてエルンストが書いた甘美なアラベスクを模した彼の『《ヴェニスの謝肉祭》による変奏曲』は、熱狂を呼び起こした。既に名前を出した『モロッコ行進曲』については、広いサル・デュ・シルクにおいても再び要求され、それは、巨大なハーモニーにしか注意を向けないと思われる大勢の聴衆さえも熱狂させ引き込んだ。作曲者によって演奏されたその曲おいて、最も並はずれた効果の力が認識されたいうことである。歌ったり、夢想したり、高潔な思考の連なり穏やかに辿ったりすることに難しさがあり、驚かせたり、目を眩ませたりすることが全く要求されない詩的なアダージョの一つにおいて、私は今マイヤー氏に求めたい。心を打ち、現世そして芸術さえも束の間忘れさせるそれらにのみ身を捧げるように。私見では、ここにおいてはリストが最も偉大である。彼は霊感を受けた詩人の姿を見せている。レオポルド・ド・マイヤーのような並外れた芸術家が目指さねばならないのは、リストが達している高みであり、そして、その上方においてのみ、才能を補完するものを求めなければならないのである。




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