Johann Baptist Cramer (1771-1858)

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▲Johann Baptist Cramerの肖像 Gallica / Bibliothèque nationale de France より 加工・転載

ヨハン・バプティスト・クラーマー(Johann Baptist Cramer, 1771-1858)の名は、彼のOpp.30、40、81の練習曲集からハンス・フォン・ビューローが60曲を抜粋し再構成した所謂『クラーマー=ビューロー』と呼ばれる練習曲集によって知られています。他には、100曲以上のソナタ(ピアノ独奏用のほか、ヴァイオリンやフルートなどの助奏付きのものを含む)、9曲のピアノ協奏曲、室内楽曲、ディヴェルティメント、ロンド等の作品を残していますが、今日では演奏されることは稀です。

クラーマーは、ドイツのマンハイムに生まれました。しかし、英国で活動するヴァイオリニストの父ヴィルヘルム(Wilhelm Cramer, 1746-1799)と合流するため、幼くして母に連れられロンドンへと渡りました。初めは父からヴァイオリンを教わりましたが、彼はやがてピアノにおいて著しい才能を現し、ベンサー(John Daniel Benser, ?-1785)とシュレーター(Johann Samuel Schroeter, 1752頃-1788)、そしてクレメンティに師事しました。1785年からは、C.F.アーベルの下で音楽理論を学んでいます。一方で、J.S.バッハ、C.P.E.バッハ、J.C.バッハ、D.スカルラッティ、ハイドン、モーツァルト等の作品の研究を通じても、自身の音楽性を培っていきました。

クラーマーは、1781年、父の演奏会においてピアニストとしてデビューしました。1788年には大陸への演奏旅行を開始し、フランスやドイツの諸都市を巡っています。1791年にロンドンへ戻ってからは、たちまち英国の第一級ピアニストとして評判を上げ、プロフェッショナル・コンサート(Professional Concert)やザーロモン・コンサート(Salomon Concert)といった主要な演奏会でソリストを務めました。1799年には再び大陸へ渡り、オランダ、ドイツ、オーストリアなどを訪れましたが、その際、ウィーンでベートーヴェンに出会っています。

師のクレメンティと同じく、クラーマーも音楽出版事業に手を延ばしました。1806年には「Cramer & Keys」という会社をに携わり、1810年にはチャペル(Samuel Chappell, 1782頃-1834)の事業に参加しました。1824年にアディソン(Robert Addison, 1797-?)、ビール(Thomas Frederick Beale, 1804-1863)とともに設立した楽譜出版社「J.B. Cramer, Addisson & Beale」は、「J.B. Cramer & Co.」として今なお存続しています。

クラーマーは、1835年に公式の場での演奏から引退しました。その後、ミュンヘンやウィーンを訪れ、それから長い期間パリで過ごしています。1845年にはロンドンに戻り、1858年、ケンジントンの自宅にて87年に及ぶ生涯を閉じました。

クラーマーは、ベートーヴェンが称賛したと伝えられるほど傑出したピアニストであり、特にレガート奏法に秀でていたといわれています。例えば、モシェレスは、「(クラーマーは)モーツァルトのアンダンテを声楽曲同然に変貌させる」と述べています。ただし、一方で「しばしば取るに足らない独自の装飾を付け加える勝手さには憤慨せざるを得ない」と非難もしていますが……。


現在、クラーマーの練習曲以外の作品では、ピアノ協奏曲やピアノソナタ等の録音がいくらかリリースされていますが、こういった大規模なジャンルの作品の殆どは1820年代までに書かれたものです。長寿に恵まれたクラーマーは、19世紀の後半まで生きましたが、1830年代以降の作品に関しては、録音がより僅少で、ヴェールに包まれた状態だといえます。今回は、そういった晩年の作品にスポットを当ててMIDIを作成しました。


3つの夜想曲 Trois Nocturnes Op.94 No.3 感傷的 La sentimentale

クラーマーの弟弟子にあたるジョン・フィールドが創始した「夜想曲(Nocturne)」は、ロマン派のピアノ音楽における主要なジャンルとなりました。この新しい世代の様式を老クラーマーも自らの創作に取り入れました。しかし、今回紹介するOp.94-3は、叙情的な旋律を分散和音で伴奏するという典型的な夜想曲のスタイルとはかなりかけ離れたものとなっています。

ト短調の序奏に後に、ト長調-ト短調-ト長調の三部形式の主部が続く構成で、序奏部は協奏曲のトゥッティを思わせる重厚な曲想、主部は「感傷的」という表題の割には喜ばしい雰囲気の曲想となっています。8分音符の動きがポリフォニックに展開する点は、『42の練習曲 第2巻』の33番(i.e.『84の練習曲』の75番、『クラーマー=ビューロー』には収録されていない曲です:昔に作成したMIDIがあったので添付しておきます)に通じるものがあります。ロマン派音楽の新しい様式を取り入れながらも、自身の様式を堅持し続けるクラーマーの姿が垣間見られる作品といえるかもしれません。

出版は、1841年頃だと思われます。





狩り, ロンド Tha Chase, Rondo Op.114

この作品は、ロンドンの1851年にLeader & Cock社から出版されたようですから、クラーマーが80歳を迎えた頃のものということになります。19世紀半ばの作品とは思えないほど古典的な曲想です。





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