Henri Rosellen (1811-1876)

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▲Henri Rosellenの肖像 Gallica / Bibliothèque nationale de France より 加工・転載

アンリ・ローズラン(Henri Rosellen, 1811-1876)は、フランスのピアニスト・作曲家です。ピアノ製造家の息子としてパリに生まれた彼は、1823年にパリ音楽院に入学し、ソルフェージュをゴブラン、ピアノをプラデールとジメルマン、和声法をドゥルラン、対位法をフェティスとアレヴィ、作曲をベルトンに学びました。院内の選抜試験では、1827年にピアノで二等賞、その翌年に和声法・伴奏法で二等賞を獲得しています。音楽院を卒業してからも、H.エルツの下で数年間研鑽を積み、その後、パリでピアノ教師として評判を得る傍ら、流行のサロン小品の作曲家としても高い人気を享受しました。フェティスによれば、パリの出版業者たちは、ドル箱作曲家だった彼を"救いの神(providence)"と呼んだそうです。

ローズランは、Op.にして200近くに上る作品を残しましたが、そのほとんどがピアノ曲で、歌劇などの流行の旋律に基づくものが多くを占めています。他には、ピアノ三重奏曲(Op.82)等も残しています。



3つの夢想曲 第2巻 3 Rêveries 2e Livre Op.31

《3つの夢想曲 第2巻 Op.31》は、ローズランの最大のヒット作で、19世紀にヨーロッパ中で流行した作品です(ちなみに第1巻はOp.28として出版されているようです)。Op.31の3曲の中でも今回音源を作成した第1番は特に人気があり、ヴァイオリンとピアノのために編曲されたり(H. Riesによる)、さらには《Wenn ich in deine Augen seh'》という題で歌曲に編曲されたりもしたそうです。新大陸でもこの曲は人口に膾炙しており、最早うんざりするぐらいに演奏されていたことが、アメリカのピアニスト・作曲家L.M.ゴットシャルク(Wikipedia)による記述からも想像されます。以下は、14ヶ月に400公演以上といった過酷な演奏活動に辟易していた彼が書いた手記の一部を意訳したものです。

私が行くべき(?)天国では、ローカル法によりお金のために人前で音楽を演奏することが厳禁され、それに違反した場合には《ローズランの夢想曲》を20回連続で聴くという罰則が設けられていることを想像したいものだ。一方で、私にとって地獄とは、スクエア、グランド、アップライト、オブリークといったあらゆるピアノの一般的な集積地、すなわち、非情なピアニストたちの練習のために開かれた忌々しいボタニー湾を思い描く。そこで、断罪された聴衆たちは、薄暗き帝国の住人であるピアニストたちが長い年月の極致に向かって奏でる終わりなき《ローズランの夢想曲》を聴くのだ!ええ!どうだろうか?考えるだけでも身震いがする。もし、ダンテがピアノを知っていたら、『地獄篇』における恐ろしい拷問にこれを付け加えないことがあっただろうか?いや、きっと彼は、《ローズランの夢想曲》に、さらに《女心の歌》やバダジェフスカ嬢の《乙女の祈り》を付け加えたことだろう。ウゴリーノは、この栄誉ある芸術団体に巻き込まれなかっただけまだ幸いだったに違いないと私は思う。

(Clara Gottchalk編 / Robert E. Peterson訳『Notes of a pianist』 P.293より)

※ダンテの『地獄篇』の登場人物(Wikipedia)


この《夢想曲 Op.31-1》は、《トレモロ Le Trémolo》という題(出版社が後で勝手に付けたものかもしれません)でも知られており、その通り、同音連打が引っ切り無しに登場します。このようにメロディーを同音連打で奏でる手法は、一度鳴らした音の強弱が制御できず減衰を続けるのみという打弦楽器であるピアノの弱点をカバーし、抑揚豊かな歌いまわしを可能としているといえます。
それにしても、私の弾き方が悪いというのもあるでしょうが、この曲の絶え間ない同音連打を演奏すると腕がすごく疲れます。ゴットシャルクは《ローズランの夢想曲》を延々と聴かされる地獄の拷問を思い描きましたが、この曲を延々と弾かされるのも一種の拷問になるかもしれません(笑)




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