Daniel Steibelt (1765-1823)

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▲Daniel Steibeltの肖像 Gallica / Bibliothèque nationale de France より 加工・転載

本日はドイツ出身のピアニスト・作曲家ダニエル・シュタイベルト(Daniel Gottlieb Steibelt, 1765-1823)の生誕250年ということで、彼のソナタ一曲を録音し、また、練習曲一曲のMIDIを作成しました。

シュタイベルトは、ピアノ・チェンバロ製造者の息子としてベルリンに生まれました。幼くして音楽の才能を現し、それに注目したプロイセン王子(後の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世)は、当時宮廷の音楽監督であったキルンベルガーの指導を受ける機会を彼に与えました。その後、彼は父により軍隊に入隊させられますが、1784年頃には軍隊を抜け出し、ベルリンを離れてピアニストとして放浪の旅に出ました。1788年にはミュンヘンで最初のヴァイオリンソナタが出版され、1789年にはザクセンやハノーファーで演奏会を行ったことがわかっています。

シュタイベルトが、パリに腰を落ち着けたのは1790年のことでした。彼は革命以前にもこの都市を訪れたことがあった可能性が高く、ヘルマン(Johann David Hermann, 1764-1852)とともに、マリー・アントワネット王妃のために《ピアノソナタ『ラ・コケット La coquette』》を1楽章ずつ作曲して勝負したというエピソードも伝わっています。ヘルマンがバッハの流れを汲む古いタイプのピアニストであったのに対し、シュタイベルトは最新鋭の技法を取り入れたピアニストでした。ヘルマンが第1楽章、シュタイベルトが第2楽章のロンドを担当し、勝負の軍配はシュタイベルトに上がっています。

1793年にはセギュール子爵(Joseph Alexandre Pierre vicomte de Ségur, 1756-1805)の台本による歌劇《ロメオとジュリエット Roméo et Juliette》が成功を収め、シュタイベルトの名声は確固たるものとなるはずでしたが、既に出版されている作品に僅かな変更を加えただけものを新作として出版社に売り出すという詐欺まがいの行為により彼の評判は傷つき、1796年末頃にはパリを離れロンドンへと向かうこととなりました。

シュタイベルトのロンドンでの初舞台は、1797年5月1日の催されたザーロモンの慈善演奏会であったと考えらえています。その翌年には、《ピアノ協奏曲第3番『嵐 L'orage』 Op.33》が初演され、嵐の様子を模倣した終楽章のロンド・パストラルは長年に亘って高い人気を誇りました。例えば、30年ほど後、C.V.アルカンも処女作《シュタイベルトの主題による変奏曲 Op.1》においてこの曲を主題に用いています。シュタイベルトは、ロンドン滞在中にピアノとタンバリンを演奏する若い英国人女性と結婚しました。それ以降、彼はタンバリンの伴奏付きのピアノ小品を多数書き、彼女と共演しています。

1799年後半、シュタイベルトは大陸への演奏旅行へ出発しました。ハンブルク、ドレスデン、プラハ、ベルリンを経て1800年5月に訪れたウィーンでは、ベートーヴェンとピアノの対決をしていますが、シュタイベルトの完敗でした。ベートーヴェンがシュタイベルトの作品の楽譜を逆さまに置き、その主題で見事な即興演奏を披露してシュタイベルトを完全に打ちのめしたというエピソードは有名です。

心を折られたシュタイベルトは、かつて名声を誇ったパリへと戻りました。1800年のクリスマス・イヴには、ハイドンのオラトリオ《天地創造》(シュタイベルトによる改変を含むセギュール子爵による仏訳版)をパリ初演しています。1802年からは再びロンドンで過ごし、2つのバレエ音楽《羊飼いの審判 Le jugement de berger》(1804)、《美しい牛乳売り La belle laitière》(1805)をそこで初演しています。1805年にはパリへ戻りましたが、1808年には債務から逃れるためにその地を離れました。

1809年、シュタイベルトはサンクト・ペテルブルグに到着し、1823年に亡くなるまでそこで過ごしました。1810年の末にはボワエルデューの後任としてフランス・オペラ座の監督に就任しています。1814年頃には演奏活動から退きましたが、1820年に《ピアノ協奏曲第8番》の初演で再び舞台に立ちました。この協奏曲は合唱付きのバッカナール風ロンドを終楽章に擁しているようで、どのようなものなのか興味をそそりますが、未出版なので、もしかすると楽譜が失われているのかもしれません。

シュタイベルトの性格に関しては、虚栄心が強く、傲慢、不誠実、浪費家であったなどといった悪評が伝えられています。前述の出版社に対する詐欺行為もその様を伝えるエピソードのひとつだといえるでしょう。ピアニストとしては、右手の華麗な技巧に対して、左手はぎこちなかったといわれています。また、遅いテンポでの演奏も苦手としていたようで、それを自覚してか、彼の書いたソナタには緩徐楽章を欠いた2楽章で構成されるものが多いです。これだけだとシュタイベルトが欠点だらけの音楽家のように思えてしまいますので、トレモロ奏法やペダル技法の開発などピアノ音楽の発展に少なからず貢献をしていることも付け加えておくことにします。

作品には、歌劇、バレエ音楽、8曲のピアノ協奏曲、ハープ協奏曲、6曲の弦楽四重奏曲、3つのピアノ五重奏曲(Op.28)、ピアノ四重奏曲、ピアノ三重奏曲、多数のソナタ(ピアノ独奏用のほかヴァイオリン等の助奏付きのものを含む)、多数のピアノ小品、歌曲などがあります。シュタイベルトの作品は、全体的な構成力に欠けている一方で、部分的には優れた着想が現れていると評されており、当時として斬新な転調法や管弦楽法など独創的な試みの存在も指摘されています。



3つのソナタ Three Sonatas Op.51 より 第2番



このソナタは、規模も小さく難易度も平易な愛好家向けの作品で、むしろソナチネと呼んだほうがよさそうな作品です。第1楽章はソナタ形式、第2楽章は変奏曲となっています。第2楽章の主題は有名なドイツ民謡《かわいいアウグスティン(オーガスティン) Ach, du lieber Augustin》です。

先程、平易だとは書きましたが、時折現れる16-32-32.jpgというリズムが弾きにくく、誤植かと思えるくらいです。

このソナタ集は、私が参照したロンドンで出版された版では51という作品番号が付けられていますが、もしかすると他の版では別の作品番号が与えらているかもしれません。というのも、シュタイベルトの作品は、しばしば同一曲に異なる複数の作品番号が与えられていることがあるらしいからです。

今回録音したソナタは、(私の技量の関係で)愛好家向けの小規模なものでしたが、シュタイベルトの真価を見極めるためには、大規模なソナタも詳しく確認してみる必要があるかもしれません。



50の異なる様式の課題を含む練習曲 Étude contenant 50 Exercices de différents genres Op.78 より 第24番



1805年に出版されたこの練習曲集は、シュタイベルトの作品の中でも最良のものとされていますが、今日ではほとんど知られていません。近代的な練習曲の祖といえるクラーマーの練習曲集がこれのほんの少し前に出版されているので、二番煎じ感は否めないかもしれませんが、ロマン派音楽を予期させるような要素も感じられます。例えば、グローヴ音楽辞典では、第3番や第8番はメンデルスゾーンの無言歌の様式を先取りしていると述べられています。今回MIDIを作成した第24番も、広い音域に亘るアルペジオに乗せて歌われる、ドラマティックな旋律がロマン派音楽の幕開けを思わせます。

ところで、左手のテクニックが弱かったというシュタイベルト自身は、この曲を上手く弾けたのでしょうか!?


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