音楽と美術における無名作品受容の差

今回は、珍しく音源なしで雑文をしたためてみました。「音楽と美術における無名作品受容の差」について書いていますが、私は美術に関しては門外漢なので、もしかすると、つっこみどころもあるかもしれません。


 クラシック音楽の世界では、悪い音楽は時の流れによって淘汰され優れた音楽のみが今日に残ったという主張を耳にすることがしばしばあります。一方、美術の世界で、悪い絵や彫刻が淘汰され、優れたもののみが今日に残ったという話は聞いたことがありません。もしかすると、それは私がただ単に美術の世界に十分精通していないからなのかもしれません。しかし、音楽よりも美術の世界の方が、無名な作品に対して寛容であるのは確かではないかと私には感じられます。

 音楽の教科書に載っている音楽史年表と美術の教科書に載っている美術史年表を見比べてみましょう。恐らく、後者の方がたくさんの人名が記載されていることだと思われます。さらに、美術館に足を運んでみれば、そこに記載されていないような芸術家の作品を目にすることも少なくないでしょう。一方、クラシック音楽のコンサートのプログラムは教科書に載っているような作曲家の作品で構成されることが多いです。

 確かに、美術の世界にも、音楽の世界と同様、大芸術家に対する信仰は存在していると思われます。聞いたことないような画家の名前を冠した展覧会よりは、ラファエロ展だとかゴッホ展だとかの方が客の入りはよいに違いないでしょう。また、「○○(有名画家)の『△△(有名作品)』が初来日」というふうに展覧会に目玉展示が設けられることもよくあります。とはいえ、実際は、有名な画家の作品ばかりを世界中の美術館と貸借して展示するというのは実現が困難であるし、また、観覧者に理解をより深めてもらうためにも、周縁のもっとマイナーな画家の作品も織り交ぜて展示がされるのが普通です。このように、美術の世界では、たとえ大芸術家と周縁人物というヒエラルキーに下にあったとしても、あまり知られていない芸術家の作品を目にする機会は少なからず与えられているように思われます。音楽の世界を考えてみましょう。例えば、グートマンやテレフセン、ミクリといったショパンの弟子たちやフォンタナのような親友の作品がコンサートのプログラムに取り上げられることがどれほどあるでしょうか。

 では、どうして音楽と美術で無名な作品の受容に差が生じているのでしょうか。音楽における楽譜という媒体が原因のひとつになっているのではないかと私は思います。まず、単純に美術作品と楽譜の形状を考えてみましょう。前者は大抵後者よりもサイズが大きく目立ち、部屋に置いてあれば否応なしに目に入るかもしれません。一方、薄っぺらい本である後者は本棚の大量の書物の間に埋もれて相手にすらされないことも多いかもしれません。たとえ相手にされたとしても、楽譜は、正当に評価されるには美術作品よりも大きなステップを踏む必要があります。とある蔵の中に知られざる絵画が眠っているのをある人が見つけ出したとしましょう。それを明るい所に持ち出して眺めれば、たとえ美術の知識がない人であっても、その絵がどのようなものであるかは何となくわかるはずです。一方、とある書庫の中に知られざる作品の楽譜が眠っているのをある人が見つけ出したとしましょう。その人が楽譜の読めない人であれば、その作品が価値のあるものかどうかわかりません。そもそも、どのような作品であるかすらわからないので、評価の土俵に立たせること自体ができないといえます。勿論、ある程度音楽の訓練を受けた人ならば、楽譜を見て脳内で再生することはできるでしょうが、実際に演奏して聴くのとでは印象は変わってくるかもしれません。さらにいえば、音楽は時間芸術です。大抵の美術作品は1分も眺めれば全容をある程度は把握できるかと思いますが、音楽作品は全容を把握しようと思えば一曲全てを脳内演奏であれ実演であれ再生する必要があるでしょう。ソナタであれば全楽章で数十分かかるのはざらであるし、歌劇ともなればそれどころの話ではありません。きっちりとした実演で聴くとなれば、練習をする必要もありますから、かかる時間は日単位になるかもしれないでしょう。このように、忘れられた音楽作品が再評価を受けるには、忘れられた美術作品が再評価を受けるよりも多大なプロセスを経なければならないのです。

 冒頭で述べた「悪い音楽が淘汰された」という主張は、作品を評価の土俵に立たせることもなく、憶測で決めつけられたものではないだろうかと私は想像します。楽譜を入手しそれを音にすることで初めて音楽作品の良し悪しは判断できるものだと思いますが、忘れられた作品たちに関してこのプロセスを踏んだ上でそのような主張をしている人がどれほどいることでしょうか。

 幸いにも、今日では、IMSLPや様々な図書館がデジタル化した楽譜をネット上に無料公開しており、忘れられた音楽作品の楽譜にアクセスすることは少し手軽にできるようになりました。とはいえ、実際のところ、それらの多くも膨大なヴァーチャルの本棚の中で埋もれてしまい、注意を向けられることもなく眠ってしまっていることが少なくないかもしれません。私は、そういった作品を掘り出してMIDIに打ち込んだり録音したりしていますが、このことが、土俵にすら立てない作品たちに評価を受ける機会を与えることに繋がっていれば幸いであると思っています。


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コメント

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初めまして

本日初めてこちらのブログに訪れました。

大変共感できます。全面的にkita。さんのお考えに同意できますし、(失礼ながら本日知ったものですが)kita。さんのご活動は大変素晴らしいものであると思います。

僕自身がロマン派の音楽と、更にピアノ曲に関して疎いものですので、どうぞ今後もこちらのブログやホームページの方へお邪魔させて下さいませ。

Re: 初めまして

返信が非常に遅くなってしまって申し訳ないです。

ご訪問ありがとうございます。賛同いただけて幸いです。取り上げる内容がかなり偏ったブログかもしれませんが今後ともよろしくお願いいたします。

Hidakaさんのブログを拝見し、作品も聴かせていただきました。私はというと近現代音楽などに疎いものですから勉強になります。

No title

さて、お返事へのお礼はするべきか、はたまた迷惑か…を考えていたため、間が空いてしまいました。

(近現代にも決して詳しくない人間の)拙作を聴いていただけたようでございまして、誠にありがとうございます。m(_ _)m


主観ばっかり綴っているブログの筆者として、非常に気になる・興味のある点なのですが、kita。さんは、マイナー…と呼ばざるを得ない数々の作曲家のエピソードや詳細なプロフィールを、どのようにして調べたり、またお知りになっているのでしょうか?

もし差し支えなければ…で構わないのですが、教えていただけると幸いです。
やや長文を失礼します。

Re: No title

お返事ありがとうございます。決して迷惑ではございませんのでお気になさらずに。

マイナーな作曲家の情報に関してですが、現代では大きな事典でさえも記載がないことがありますので、主に19世紀後半~20世紀初頭辺りに出版された事典等から情報を得ています。著作権が切れているので、ネット上で無料公開されていたりします。ホームページの方に参考文献一覧を載せておりますのでよろしければご参照ください:http://19cpianomidi.web.fc2.com/reference.html

このように古い資料を基している故に、もしかすると私の書いている作曲家情報にも誤りが含まれていたりするかもしれません(・_・;)